第4回 秋の風景を映して

菓子=柿寿賀(総本店柿寿賀) 器=銹絵五寸皿(田端志音) 写真:津留崎徹花 撮影協力:加島美術
菓子=柿寿賀(総本店柿寿賀)
器=銹絵五寸皿(田端志音)
写真:津留崎徹花 撮影協力:加島美術
 深まる秋を実感させてくれるのは、里山の風景に鮮やかな朱を灯す柿の実だ。正倉院文書にも登場する柿の、日本での栽培の歴史は古代まで遡る。実を生で食すばかりでなく、柿渋から防腐・防水剤を作り、落ちた実は発酵させて柿酢に、黒く緻密な心材は家具の用材にと、さまざまに暮らしの中で利用されてきた。そのままでは渋くて食べられない渋柿は、乾燥させるとタンニンを中心とした渋みを感じさせる物質が、可溶性から不溶性に変化(渋抜き)することで、甘みに転じる。砂糖が庶民の手にはとうてい届かない高級品だった時代、渋柿の甘さは他に代え難い「甘味」として愛された、いわば和菓子の原点とも言える。刻んだ柚子皮を芯に、表面に自然の糖分が浮き出す干し柿で巻き上げた「柿寿賀(かきすが)」は、素朴な甘みと酸味が秋の野山の息吹を感じさせる、いかにも奈良らしい銘菓。そこに枯れ野の風情を添えるのは、田端志音(しおん)さんによる乾山写しの銹絵(さびえ)五寸皿だ。
 二言目には「個性」「自分らしさ」を強調する学校教育の行き過ぎか、現代の陶芸の世界で、「写しもの」の旗色はあまりよくない。だが名作を生み出した先達を理解し、その先へ進むために既存の作品を「写す」ことは、かつて日本では当たり前の文化だった。陶芸家の田端さんもやはり古典に魅了され、その魅力を自らのものにしようと努力してきた一人。古美術商での勤務を経て、田端さんが作陶を始めたのは45歳の時。遅いスタートだったからこそ、田端さんは多岐にわたる技法を使いこなし、器形のバリエーションも豊富な17世紀の陶工・尾形乾山を「師」に選んだ。粘土から釉薬、窯に至るまで、可能な限り乾山時代と同じ技法を再現するために試行錯誤を重ね、現在では錚々たる日本料理店でその作品が使われる、名うての「乾山写し」として知られる。乾山が生きた時代、こうして柿の菓子を食べたとしても不思議ではない、そんな取り合わせになった。